パソコン語


 パソコンの本は、日本語で書かれていない。

 

「パソコン語」と言った方が正しい。

横文字・カタカナ・略語・造成語で書かれている。

国語辞典で調べても見つからない。

別に「パソコン辞典」が必要である。

 

インテリである人ほど戸惑いを感じる。表現方法にいちいち拘わる。すると前へ進まなくなる。

したがって「外国語」だと思えばいい。

 

 さらっと流しながら、消化不良を承知で進むのが肝心である。

このスタンスがこれからの上達度を大きく左右する。

本の説明には「直感的に解るもの」と「さっぱり解らないもの」に分かれる。

今やっている事を最低マスタできればそれでいい。理屈は後から付いてくる。

これからも、色々な場面で何度もお目に掛かる。

したがって、今、解らなくてもいいのだ。

 逆に、ひとつ理解できると他の場面でも通用する。

「同じ考え方」で作られているソフトが多い。

特に操作方法・ダイアログ・インストールウィザード(ひょっとしてこの言葉が分からなかったりして)などは似たものが多い。

 

そしてある日突然、今迄「点」でしかなかった知識が「面」に変わる時がやって来る。

 

しかも、音をたてて・・・

 

 当人は、周囲の状況も構わず、突然「わかった!」と、大声を出す。

そして一人で「にやにや」している。

一方、周囲の人々は何があったのか?と「キョトン」としている。

 

 ここまで来ると「パターン」がある事を発見する。

「傾向と対策」が見えてくる。

「ワード」で得た知識は「エクセル」でも通用する。

きっと「こうなるに違いない」と推測出来る。

頑張って「ワード」「エクセル」を同時にマスタすることはない。

「ワード」をある程度理解してから「エクセル」を勉強すると「ウソ」のように頭の中に入っていく。

 

まずは「ひとつ」に集中することが大事である。

 

「急がない・急がない」