適性


 ウォルトディズニーは「漫画」を書かなかった。

別に「漫画家」がいた。

しかし「ウォルトディズニー」の名前だけが残っている。

「ミッキーマウス」「ドナルドダック」等のキャラクターは彼の「発想」である。

それを「漫画家」が見える「キャラクター」にした。

それぞれの「性格」も「ウォルトディズニー」が決めた。

 ある時「漫画家」が「コンビ」を解消して独自でビジネスをはじめた。

「キャラクター」も自分のオリジナルで勝負した。

結果は大失敗!

「漫画家」は「ウォルトディズニー」の元へ戻ってきた。

 

 清水の「次郎長」には「大政」「小政」等、多くの「子分」が仕えていた。

次郎長は「大政」「小政」の能力にはかなわないと思っていた。

彼らも「次郎長」より優秀であると思っていた。

しかし、自分達は「親分の器」でない事を知っていた。

「リーダー」は「何をやる」かを明確に決め、その方向性を周りに指し示さなければならない。

それを受けて「行動計画」「具体策」を立案するのはその「部下の役目」である。

 「サブリーダー」の時と「やっている事」を変えない「リーダー」がいる。

パソコンに向かって四六時中「報告書」を作り続けている。

忙しい部下をつかまえて自分が納得するまで説明させ「自分語」で書き連ねている。

これじゃ「メッセンジャーボーイ」である。

報告会では「業務の全てを把握して指示している」がごとく「完璧な説明」。

「俳優の名演技」そのものである。

この「報告作業」は当人にとって「仕事の全て」なのだ。

聞き手は「彼はとてもよくやっているじゃないか」だって…

この報告会の為に部下が「狂気的」「犠牲的重労働」を強いられていることを周囲は知っている。

そして、重要な案件には「判断」「決断」が出来ない。

だから、部下を呼びつけてこう言う。

「この案件、君はどう思うかね?」(あえて聞くような態度)

「ん~いいんじゃないか」(熟慮したような態度)

本当のところ、何も分かっていない!

「進捗管理」を唯一の仕事と思っている「リーダー」がいる。

「前回の報告書」と「今回の報告書」の矛盾を突く事しか出来ない。

「前回の報告書」がないと何もできない。

以前よりさらに「トラブル」が増えるのは何とも「皮肉」!

 

 最近「良い子」が多過ぎる。

「トップ」からの指示には常に「イエス」。決して反論しない。

小心者の「トップ」は「異論」「反論」を嫌がる。

「異論」「反論」は自分への「批判」と受け取る。

したがって、周りは「良い子」ばかり…

「持論」がなければ「イエス」の返答も「苦」にならない。

「トップ」の意見が変わると、即座に「発言」を大転換!

「トップ」が「イエス」と言ったら「イエス」

「トップ」が「ノー」と言ったら「ノー」

「持論がない」のが本人の「哲学」か?

こんな「御仁」は「信用」できない。

周囲はとっくに見抜いている。

「発言」がいつ変わるか…

いつ背中に「銃弾」が撃たれるやら…

したがって、部下は「臆病」になる。

「笛を吹いても踊る」はずがない。

さらに「リーダー」には「人徳」が求められる。

「持論」「哲学」「人徳」がなくても「サブリーダー」はつとまるかもしれない。

しかし「リーダー」としては「最悪」である。部下を「不幸」にする。

「リーダー」自身が自分の組織の「作業効率」を著しくダウンさせている。

普通の「リーダー」に代わるだけで「生産性」が何倍もアップするのに…

「スーパーサブ」はあくまで「サブ」として優秀なのであって、決して「リーダー」にしてはいけない。

どうしようもない「リーダー」の存在は「当人」「一部の人」を除いて周知の事実になっている。