小さな親切


 昔々、じいさまとばあさまが住んでいました。

じいさまは毎日沖へ漁に出ていました。

 ある日、沖で網を引いていると神様が出て来ました。

神様はじいさまが気に入ったらしく「好きなことを何でも叶えてやる」と言いました。

「ちょっとだけ魚を多くくだせい」(じいさま)

と言うとたちまち魚が多くなりました。

 家に帰ったじいさまは「魚のこと」をばあさまに話しました。

すると、ばあさまは、じいさまに言いました。

「今度、神様に会ったら『お金持ちにしてくれ』と頼みなさい」(ばあさま)

 翌日、漁に出るとまた神様に会いました。

じいさまは、ばあさまに言われた通り神様に頼んで帰ると家は「豪邸」になっていました。

その後、ばあさまは、じいさまに「神様へのお願いごと」を言い続けました。

困り果てながら漁をしていると神様が出て来ました。

「お前はどうしたいんだ?」(神様)

「ばあさまにどうなって貰いたいのだ?」(神様)

「ばあさまには幸せになって貰いたいのです」(じいさま)

「分かった。それならこのまま帰りなさい」(神様)

家に帰ったじいさまは「ビックリ」しました。

「家」と「ばあさま」は神様に会う前の「昔」に戻っていました。

欲深い「ばあさま」が悪いのだろうか?

神様のことを教えた「じいさま」が悪いのか?

何でも叶えてあげた「神様」が悪いのか?

日頃、SEがやっていることは本当にお客様の為になっているだろうか?

お客さまからちょっとした頼み事があったとしよう。

感謝されたいばっかりに「チョコチョコ」とやったことが月日が経つにつれ「当たり前」になり、しまいには

「どうしてやってくれないんだ」

と言われたりして…

「そもそも、そんなつもりでやったんではないんですよ」

電話を切ったSEは一言

「やってられねぇ~よ!」(SE)

「SEしか知らない裏技機能の伝授」

「マウスに慣れる目的だというゲームソフトの導入」

「やらなければ良かった」と後悔してももう遅い。

この手のトラブルフォローが多い。

上司に言えば、かえって「カミナリ」が落ちることは目に見えている。

SEは、周りに気付かれないようにフォローし続けることになる。

「お客様。これっきりにしてくださいよ」(SE)

「わかった、わかった」ほとんどお客様は口だけで聞いていない。

そして、また電話が鳴る…

丁寧な言葉で「Aさんいますか?」(お客様)

小さな親切トラブルのもと!(筆者の格言)

「ほどほど」「加減」をお客様に理解させることはとても重要である。

いつまでも「検収期間」が長くなり、小さな修正に追いまくられる日々を送ることになる。

この手の仕事はほとんど「ただ働き」である。

「やっぱり最初の形に戻そう」

なんて言われようものなら、こんなに頭にくることはない。

 ゴールラインが見えない競争に挑んだ走者がグルグルと陸上トラックを走り続ける。

 気が付くとまたスタートラインに立っている…

「もっと・もっと」「エスカレーション」は人間だけのものであり他の動物にはない。

これがいろいろな「トラブルの根源」になっている。

とてもやっかいな代物である。

「完璧」という幻惑/幻想/幻覚…

システムに「完璧」は存在しない。

 

「吾唯足るを知る」

 

 システム作りの一番大切なポイントである。

これも「第3の見方」である。

「わかっちゃいるけどやめられない!」

 

「優秀なSE」であるがゆえにはまりやすい「罠」である。