システムは「組織」と訳される。

「組」「織」は共に糸編であり、布を作ることのように思える。

布から「システム」の概念を捉えてみよう。

 布は糸からできていてさらにその糸は細い繊維の寄り集まりである。

糸には「木綿」「麻」「毛」等があり染めることによって種類が増える。

 各々の糸は比較され「材質」「色」が話の中心になる。

この段階は「第1の見方」(バラバラ)である。

 糸を「縦」と「横」に使用することによって「布」が出来上がる。

「縦糸」を「経」といい「横糸」を「緯」という。

世界地図の南北を結ぶ線を「経線」東西を結ぶ線を「緯線」といい「東経135度・北緯35度」という。

学校では何の意味も分からずただひたすら覚えていた気がする。

 あれ~?そうするとある言葉が思い浮かぶ。

「経緯」(けいい・いきさつ)

 我々が書面でよく使用するこの言葉は「縦糸」と「横糸」である。

「どんな『縦糸』と『横糸』で布が作られたのか」これを「経緯」という。

 あれ~またまたそうしたら「経営」ってなんだ?

「縦糸」を作ることのようだ。

その「縦糸」とは「事業」と解釈でき経営者とは「事業」を作る人に思える。

 色々な糸で織られた布は「模様」が出る。

というよりその模様を出す為に異なる糸を使用する。一種類の糸では模様は出ない。

 出来た布は「手触り」「模様」が話の中心になり「糸」の話は全面に出て来なくなる。

 これは「第2の見方」(つながり)そのものである。

糸がバランスよく織られると素晴らしい布になるが、悪いとひどい布になる。

「糸」という「材質」と「織る」という「技術」は全く別物である。

布が出来てもまだ人に役立っていない。

「服」にしなければならない。

裁断された布を縫い合わせるのもまた「糸」である。

「少ない生地でいかに服を作るか」が「技術」になる。

「布を織る技術」とは全く異なる。

「服であればなんでもよいのか?」

「軍服とか国民服で十分なのか?」

「オシャレ」がいる。

だれもが持っているこの感覚を否定することはできない。

「デザイナー」の登場である。

「ファッション」が話題の中心になり、そこでは「縫い子」の出番はない。

これも「別世界」である。

出来上がった服は着てもらってはじめて生きる。

「糸」「布」「模様」「デザイン」そして「着ている人」が「一体」になっている。

この見方が「第3の見方」(ひとつ)である。

「お客様」と「SE」の議論は時々どのレベルの話なのか分からなくなる。

「お客様」に何を提供しようとしているのだろう?

今の「コンピュータシステム構築論」は「布から国民服の段階」のように筆者には映る。