陀羅


 テレビで、あるドキュメンタリーを見ていた。

中学校を卒業したばかりの二十人位の少年達、それぞれの事情で「割烹」に就職する。

全員大部屋に寝泊りして、来る日も来る日も下働き。

就職してから約3年間の「密着取材」であった。

最初は「いらゃしゃいませ!」と大声で言う練習。

これがなかなか言えない。

言えても、お客様の前ではまだ言えない。

そして、毎日「掃除」「皿洗い」の繰返し。

一人減り、二人減り…

 1年経ち、十人位になった頃から「魚の焼き方」「包丁の研ぎ方」等を仕込まれていく。

ここから段々「個人差」が出てくる。

飲み込みの早い者は大将から目を掛けられドンドン次のステップに進んでいく。

 一方、未だに「いらっしゃいませ!」が言えない子がいて毎日先輩のカミナリが落ちる。

今日もまた「皿洗い」。

ひたすら黙って両手を動かしている。

見ると、ひどい「アカギレ」である。

どう見ても「不器用」

人の何十倍も繰り返している。

ほとんどの少年が辛さに耐えかねて辞めていくのにまだ働いている。

「なぜそこまで働くのですか?」

「もっと楽な仕事が周りにはたくさんあるのに…」

人と話す事が苦手な子がポツポツと話し出した。

「両親は幼い時に離婚し、父は再婚したけれど自分は継母に馴染めず…」

「もう帰る所がないんです!」

「ここしかないんです!」

歩みは「のろい」が間違いなく「前進」している。

 その後、大将から目を掛けられた若者も去り、遂に「一番不器用」な二人だけになってしまった。

3年目、目を掛けられた若者に大将から「店に遊びに来い!」と手紙が届いた。

訪れると、

「いらっしゃいませ!」

と出迎えたのは残った二人だった。

大将は「食事をしていけ!」と若者に言った。

料理は彼ら二人だけで作ったものである。

「煮物」「焼魚」「刺身」…

若者は目を疑った。

1年前には自分よりはるかに劣っていた彼らが今はとてもかなわない料理人になっているではないか。

テレビ画面からもそれが「嘘でない」ことを映し出している。

「小さな事からコツコツと…」

これが一人前になる「王道」ということか。

一見「バカバカしい事」のようだが、これが「最短の道」に思えてくる。

 最近「バカ」になれない本当の「馬鹿」(外面は賢そうに見えるが)が多すぎる。

「屁理屈」だけは「一人前」で「身体」がひとつも動かない。

 富山の方言に「バカ」に似た意味を持つ言葉がある。(筆者は富山市出身)

 

「ダラ」

 

地元には「諺」が残っている。

「『ダラ』に嫁来る。家が建つ」

「バカ」になれる人には「嫁」も来るし「家」も建てられ「幸せ」になるという意味。

となると、このことわざを「ダラ」と書くより

「陀羅」

と書きたくなる。

 

名人には「不器用な人」が多いらしい。