見える・見えない


 最近、自分の「目」が「変」になっている。

通勤電車の「中吊り広告」を見ていると、その内容を見るのではなく文字の「サイズ」「フォント」を見てしまう。

「視覚」が「ドツボ」にハマっている。

「明朝体だ」「平成ゴシックだ」「倍角だ」「半角だ」

「中央揃えにしているな」

「もっと左に寄せた方がいいのに」

なかなか抜け出せない!

明らかにパソコンのやり過ぎ!それは分かっているのだが…

 プログラムの結果が思わしくなく、数日間「悶々」となることがある。

そんな時は、人に話を聞いて貰うに限る。

「ここがこうでしょう!」(筆者)

「だから…こうなるでしょう」(筆者)

「ウムウム…」(聞き手)

聞き手は何も喋る必要はない。

いい聞き手は「ウムウム」以外の言葉を言わない。

当人が勝手に喋りだし自問自答する。

そして突然、奇声が…

「アレッ~!」

「何でこんな所に『ピリオド』があるのヨ?」(筆者)

「『IF』が終わっちゃうジャン!」(筆者)

「分かった!分かった!」(筆者)

当人は、聞き手に「ありがとう!」を連発。

聞き手は「そのマチガイ」を全く分かっていない。

「キョトン?」(聞き手)

 帰宅間際にプログラムのテスト結果を見てはいけない!

見てしまうと、帰りが「午前様」になる。

すぐに帰ったとしても結果が思わしくないと寝付きが悪い。

「頭」が寝てくれない。

 そういえば、今は昔、筆者が夜中に、

「『作業指令書』は何処にありますか?」

と大声で叫んだそうな。

そばで寝ていたカミさんは、以前同じ職場で働いていたこともあってその言葉に即、

「はい!ここにあります!」と返答するやいなや飛び起きたそうな。

「な~んだ。寝言か」(カミさん)

大声を発した当人は「イビキ」をかいて熟睡していたそうな。

どう見ても眠っているのに「頭の中」はずうっと「プログラムリスト」を見続けている。

トラブルを起こした時よく叱られた。

「よく見ていないからこうなるんだ!」(上司)

「どこに目をつけているんだ!」(上司)

「穴が開くくらいもっとよく見ろ!」(上司)

 頭を下げつつも、

「よく見ていたよッ!」

「でも見えなかったんだよ!」(筆者/心の叫び)

「車が欲しいな」と思った途端に、新聞の「車のチラシ」が増えたような気になる。

そして、自分の好みの「車」が街で多く走っているように見えてくる。

事実は以前と何も変わっていない。

自分自身の「意識」が「もの」を「見せたり」「見せない」ようにしている。

 筆者が中学生の時だった。

年末の寒いある日、火鉢にあたりながら母親と雑談をしていた。

その時、母親はこう言った。

「お前も大きくなって結婚して子供を持ったら分かるようになるよ」

なぜかこの言葉がずっと脳裏から離れず、最近ようやくその意味することが見えてきた。

 

人はいろんな経験をして、はじめて「物の道理」「物の本質」が見えてくる。