品質管理


 システムを評価する言葉に「品質」がある。

「品質が高い」は「物が良い」ことである。

では、居酒屋で頂く「料理」の評価はどのようにされるのか?

難しい話ではない。

早い話が「おいしい」か「まずい」かである。

ここに「品質管理」を取り込むとどうなるのだろうか?

 「刺身」を例にしてみよう。

あるレジャーセンターでの話である。

 システム的考え方では「刺身」は「食材」であり在庫管理の対象になる。

料理長はスゴイ実力の持ち主で、食材の量(システム的在庫量)が同じにもかかわらず「必要相当分の刺身」が作れる。

本来、マグロ一匹では「何人前」と決まっている。

その相当分の食材が出庫する「仕掛け」になるはずがそうではない。

同じマグロ一匹でも、料理長にかかればどうにでもなる。

「食材管理システム」では帳尻が合わない!

「出庫量」「製造量」が一致しない!

「マグロの量」÷「夕食の数」=「刺身一切の厚さ」になり、

この「厚さ加減(均一性)」が料理長にとっての「品質管理」となる。

料理長はこれを電卓もなしに瞬時にやってのける。

また「鮮度」「一切れの形」もその対象になる。

しかし、この三つの項目に「第三者的チェック」が可能なのだろうか?

 

「一切れの厚さ」をミリ単位で誤差を測る馬鹿はいない。 

「標準の一切れの形」があって、それと合わなければ「不合格!」なんて話も聞いたことがない。

「鮮度」もせいぜい「大腸菌チェック」ぐらいで、都度チェックしていたらやっていられない。

出来てしまったものにやり直しがきかない。

捨てるわけにもいかない。

全て、人間の「勘」「感」に委ねられる。

こうなると「品質管理」は、冒頭に定義した「おいしさ(評価)」とは無縁になる。

あれ~!

 では、立場を逆転してユーザー側から見てみよう。

大型計算機の「システム保守」を担当していた時である。

「ソートプログラム」(分類プログラム)をバージョンアップすると必ず「トラブル」が発生した。

ユーザーには影響しないように対処済であったことを先に言っておく。

そのたびに、メーカーは、

「今回のトラブルは全世界で初めてです」

を連発した。

最初はこの言葉に「若干の快感」があったが、あまり続くので「ウンザリ」。

「何故?いつも当社だけがこんな痛い目にあわなきゃならないんだ!」(筆者/心の叫び)

「いい加減にしてくれ!」(筆者/心の叫び)

トラブル防止の善後策を検討したが妙案が出てこない。

「どうしたらいいんだ?」(トップ)

「これ以上発生しないと言いきるしかない!」(リーダー)

「そんな事言えません!」

「また出たらどうするんですか?」(スタッフ)

「ない!ない!絶対ない!ないものはない!」

「もう出ないと信じるしかないじゃないか!」(リーダー)

遂には「今度、成田山に行くしかないな!」(トップ)となった。

 結果論であるが、常にリリース時のトラブルは一種類だけであった。

「ソートプログラム」の「使用禁止」は「現場作業の中止」と同じ意味を持ち、リリース後の数日間は内心ドキドキしていた。

人間の血液の中に少しの「ばい菌」が入ったとしてもその「ばい菌」を取り除く為に「血を止める」わけにはいかない。

前のバージョンに戻すとなると、話は更におかしくなり現場の混乱は半端ではない。

しかし、よくわからない人に判断を任せるとすぐに「血を止める」ことがある。

 

アンビリーバブル!

 

毒矢に射られた兵士は

「矢を素早く抜き取る」ことが最優先であり、

「その矢がどこから飛んできたか?」

「毒の成分は何か?」は今はどうでもいい。

後でゆっくり調べればいい。

ここまでくると「品質管理」という言葉も空しく聞こえ「成田山」にはかなわなくなる。

南無阿弥陀仏

「南無」は「信じる」という意味である。

 どうも「品質管理」はお客様の為というより「製造側」の言い訳の言葉に思えてくる。

「おいしさ(評価)」はシステムの「使いやすさ」に似ている。

「使いやすさ」に「品質管理」は適用できるのだろうか?

くれぐれも言っておくが「品質管理の否定論者」ではない!