優良ドライバー


 先日、自動車免許証の更新をした。

今回は警察署での「簡素な講習」で済んだ。

ちなみに「ウチのカミサン」は毎回「簡素な講習」であり、ずう~っと「無事故・無違反」である。

「それはスゴイ!」とお思いにならないでいただきたい。

彼女は外出する時いつも「亭主」という名の「お抱え運転手付」である。

「優良ドライバー」の多くは「運転をしていない」のではないだろうか?

表面上は本当の「優良ドライバー」と区別が付かない。

野球界では、打率が3割以上だと言っても「規定打数」を満たさなければ認められない。

当然「十打数四安打の四割」は「百打数三十安打」にはかなわない。

 ところが、我々の世界になると大きく歪んでくる。

「仕事が出来るSE」は、多くの「顧客」「仕事量」と「難易度の高いシステム」に挑戦している。

したがって「トラブる回数」は増すと同時に周囲への影響も大きい。

現実的に「優良ドライバー」であり続けることは「不可能」である。

「どうしてミスを犯したんだ!」

分かっていたら犯すはずがない。

ほとんどの原因は「思い違い」か「分からなかった」である。

原因究明のプロ達が「もっともらしい原因」をレポートしても「事の真相」は単純である。

結論はいつも「起きる前に何故対処していなかったのか…」

評価は「×・×・×」

「あ~あ、やってられない!」

 筆者は開発スタッフにこう言っていた。

「トラブルは『勲章』だ!」

「起きた事だけでは『評価』は下げない!」

「しかし、その報告が遅れたら、ただでは済まさないぞ」

「『ぼや』で済むものを『大火』にすれば『評価』は×・×・×だ!」

「ヘルプは早めに!」

「飲み代の精算は遅めに!」

スタッフからは「変人」と言われた。

「平穏無事」にシステム構築が終了して誉められることは、当人達が何らかの演出をしない限り、ありえない。

「たいしたシステムではない」と思われるのがほとんどである。

他人にはシステムの難易度は分からない。

逆に「己のシステム」は一番難しいと考えている。

「優秀なプログラマ」は月に何本も作成する。

「不出来プログラマ」は、せいぜい月に一本しか作成できない。

「不出来な人」は残業が多い為、給与が「何万円」も多い。

これが「現実」である。

「挑戦」に対する評価はあくまで「結果」から判断される為、並みの仕事で「トラブル無」の方が「評価」が高くなる。

米を作ったことのない「お代官」が「百姓」の質を評価できるはずがない。

人は自分より能力のある人を評価できない(人事の格言)

したがって「収穫高」「トラブルの回数」によって「評価」されることが多い。

「トラブル」はオープンになると実際の数十倍に伝達されることを忘れてはならない。

 

実は「オープンになる」と「トラブル」と言われるのである。