青春


 若かりし頃「青春論」を仲間と語りあった。

年齢・精神・肉体的に「青春期間」を定義しようとした記憶がある。

結局、結論が出なかった。

 

 月日が流れ、某所で仲間と飲んでいた時、ひょんな事から「青春論」がテーマになった。

それなりの年齢になっている為、もう「熱く語る」ことはなかったが、以前とは「趣」が違うことに気付いた。

その中で唸らせる意見があった事を今でも覚えている。

 

「青春とは?」

 

 正月に神社やお寺にお参りに行ったとする。

その時、心の中でどう囁くか?

「今年こそ、いい事がありますように・・・」と言えばまだ「青春」

「今年も、何もありませんように・・・」と言えばもう「青春」は終った。

と言うのだ。

 

 つまり「青春」は年齢でも肉体でもなく「こころの中」に存在するという事になる。自分次第である。

年齢とともに「できない事のいい訳」だけが上手くなっていく。

 しまいには「そんな事をやって何になるの?」と始める前にもう否定的な発言をする自分がいる。

 

「体(五感)で感じる事」をすっかり忘れ、全て「頭の中」だけで結論を出している。

とにかく「やってみよう!」結論はその後でいい。

 

「やらなければ良かった」という後悔は自分で納得するが、「やれば良かった」という後悔は悔んでも悔やみきれない。

 

 中国では人生を「青春・朱夏・白秋・玄冬」と四季に分けて表現しているが、常に前向きであれば、心の中ではずっと「青春」でいられるのだ。

「後ろ向き」な時があったとしても、また「前向き」になれば「青春」が戻ってきたことになる。

 

「熱くなれる物」さえ持っていれば今が「青春」だと言っていい。

なければ探そう。自分の中の何かが変わる事を期待して・・・