まかせる


 システム作りが佳境に入ってくると、というよりも「修羅場」になると「任せる」という言葉が多発する。

「とにかく任せるよ」(リーダー)

「君に任せたんだから、うまく頼むよ」(リーダー)

「私に任せてください!大丈夫です!」(スタッフ)

 安易にこの言葉を使用する。

「発する方」と「受ける方」の内容が明確に合意されているとは思えない。

独自の「任せる」の「定義」「意味」を述べたい。

 「任せる」とは、全ての「判断」「行為」を相手に委ね、その「結果」は無条件に自分が受ける。

それに関わる他への影響、リアクションも含めて「全責任」を負うことだと考えている。

ところが現実は全く逆である。

ルール違反も甚だしい…

この人「日本語」を分かっていて「任せる」と言っているのだろうか?と思うことがある。

 具体的に「右か左」かの指示を仰ぐと「任せる」と言い、独自の判断で動き出すとどうでもいいことに口を出す。

「じゃ~これからどうするんですか?言ってください」と「判断」「方向性」を求めると口をつぐむ。

ほんとに困ったものだ!

そんなに言うなら自分でやったらいいではないか。

ところが、この手のタイプはほとんど自分では何も出来ない人達なのだ。

自らやるとその能力が露呈する。

しかし、それを自分では絶対に認めない。

「こんなくだらない事は自分が出来なくでも良いのだ」と勝手に考えている。

「己のプライド」とやらが許さないようだ。

「それなら『何が出来る』と言うのだ」

 どうも、ある時期まで「優秀」だと言われていた人達にこの傾向が強い。

大した能力もないのに…周りのみんなにはすでに見透かされているのに…

とても「滑稽」に見えてくる。

「裸の王様」である。

 さらに、結果が良くないと自分の責任ではないと主張し任せた人を責める。

そして、他人事のように評論する。

「これは、いったい誰の仕事なのだ?」と言いたくなる。

「アンタが主人公なのですよ!」

「人にやらせておいていいのですか?」

「任せた」というよりも「逃げた」と言ったほうが妥当な表現である。

任せつつも

傍でよく行動をみながら

余計な事は言わず

最悪の時を考えながら

いざという時には自ら行動に出る

それまでは辛抱強く待つ

これは理想なのだろう…

 これとは全く反対のケースが脳裏から離れない。

広岡達朗がヤクルトの監督だった時の話である。

一点を争う攻防の八回裏、ある選手に「バント」のサインを送った。

この場合、広岡監督は選手に「任せて」いないのだ。

しかし、失敗して「ツーストライク」になり、

そして3球目…選手は「ホームラン」を打ったのだ。

これによって試合は勝利した。

しかし、広岡監督はインタビューで彼を批判した。

「彼は、私の指示に従っていない」

「彼に『ホームランを打て』とは言っていない」

「結果はどうであれ評価しない」と…

 よくあるのは「結果オーライ」で、監督が勝利インタビューでその選手を誉める。

これでは選手は監督を信用も信頼もしなくなる。

「指示通りでなくても結果さえ良ければいい」と考え出し、言う事に従わなくなる。

 

任せたら「文句を言うな!」

任せないなら「明確な指示を出せ!」

指示に従わないなら「叱れ!」

 

「リーダー」が「評論家」であっては絶対にいけない。

体裁ばかりを気にして「泥水」を飲まないリーダーよ!

いい加減な「任せ方」をやり続けると「部下」「友達」「家族」をなくしますよ!

 

いつまでも続きませんぞ!